熊本県南関町出身の浦田理恵選手(42歳)が東京パラリンピック ゴールボールの日本代表メンバーに選出されました。
2008年の北京パラリンピックに初出場を皮切りに、続く2012年のロンドン大会では金メダルを獲得されています。
今回の東京パラリンピックでは、4大会連続の選出となりました。
浦田理恵選手やゴールボールについて、聞きなれない方も多いかと思いますので、応援する意味を込めて以下にまとめていきます。
ゴールボールとは?
ゴールボールはパラリンピック公式種目として定着している視覚障害者の球技です。
もともとは第二次世界大戦の傷痍軍人向けのリハビリテーションとして考案されたもので、ヨーロッパで盛んに行われているスポーツです。
簡単な競技方法としては以下になります。
この競技は、アイシェード(目隠し)を着用した1チーム3名のプレーヤー同士が、コート内で鈴入りボール(1.25kg)を転がすように投球し合って味方のゴールを防御しながら相手ゴールにボールを入れることにより得点し、一定時間内の得点の多少により勝敗を決するものです。
詳しくは日本ゴールボール協会のホームページをご覧ください。
http://www.jgba.jp/goalball.html
実際のプレーを見たい方は以下の動画が分かりやすいです。
浦田理恵選手について
浦田 理恵(うらた りえ)
生年月日:1977年7月1日 39歳
出身地:熊本県玉名郡南関町
居住地:福岡県福岡市
勤務先:総合メディカル株式会社
所属:シーズアスリート
障害:徐々に視野狭窄が進み失明する可能性もある
出場種目:B1、センター
とても明るい印象の浦田さんですが、現在に至るまで多くの困難を克服してきた方なんです。
学生の頃は小学校の先生を目指して頑張っておられたそうですが、専修学校の卒業を間近に控えた頃、視力に不調をきたし始めたそうです。
病院で検査をした結果判明したのが、網膜色素変性症でした。
当初はその事実をご両親含め誰にも打ち明けられず、ショックで引きこもりとなってしまいました。
打ち明けられなかった理由は、失望させる、重荷になる、迷惑がかかるといった想いがあったそうです。
ただ、病気が進行し、両親へ告白した際には『仕送りは続けられるから、福岡で頑張って自分のやりたい事を探しなさい。』と、ありのままの理恵さんを後押ししてくれたことで前を向いて進むことが出来るようになったと事です。
その後、鍼灸マッサージの道へ進むことを決め、免許取得を経て視力センターに入所することになりました。
そこで行われていたクラブ活動でゴールボールと出会ったわけです。
つまり、20歳を越えて出会ったスポーツで才能を開かせたんですね。
国際大会への初参加は2006年7月のIBSA世界選手権大会。
ロンドンパラリンピックでは、日本初となる団体競技での金メダルを獲得するという快挙を成し遂げました。
因みに、とても可愛らしい浦田選手ですが、彼氏の有無は不明ですが、ご結婚はされていないそうですよ!!
網膜色素変性症とは?
網膜色素変性症とは、いわゆる鳥目とか夜盲などと呼ばれる病気です。
日本では難病指定されており、およそ人口あたり4000人~8000人に一人が罹患していると言われています。
失明原因の上位となっている進行性の病気で、一般的にも認知度は高い病気です。
主な症状として網膜の視細胞が障害される病気です。
初発症状として暗闇で見えにくい、視野が狭くなるといった症状をきたし、病気の進行とともに視力が低下したり、色覚異常をきたしたりします。
また、発症年齢も様々で幼少期に発症する例もありますが、大体20~40代で発症される方が多いようです。
人によって症状の進行具合は様々なようですが、悪化すると最悪失明に繋がるケースもある病気です。
まとめ
笑顔がチャーミングな浦田選手ですが、ニュースなどで取り上げられると、『かわいい!』ということで話題になりました。
大変失礼ですが、42歳とは思えない若々しさですよね。
また、ハンディキャップを負っているとは思えないような明るい笑顔にとても癒されますね!
浦田選手の登場によってゴールボールの認知度も上がってきているようです。
これまで多くの困難にぶつかってきであろう浦田理恵選手。
それでもその困難に負けず、一から取り組んだゴールボールで日本代表に選出されるほど努力されています。
可愛らしい笑顔の底にある、そういった強さにとても魅力を感じますね。
ゴールボールというスポーツを通して、元気や勇気を分け与えて貰っているような気がします。
コロナウィルスなど暗いニュースが多く、東京オリンピックへの不透明感が漂っている状況ですが、ぜひ健康に気を付けて頂きながら最高のプレーを届けてもらいたいです!!
これからも引き続き浦田選手を応援していきたいと思います!!
最近のコメント